楽しい学生時代

 

今では、コミュニケーションを円滑にするための
研修などにかかわっていますが

専業主婦から社会復帰して
最初にやり始めたのは
英語を教えることでした

私は中学生の最初の英語の授業から
英語を学ぶことが楽しくて
大学は「英文科」を選びました

その当時は今と違い
語学に関して実用的な学科は少なく
英語といえば「英文科」しかない時代でした

「英文科」といえば・・・

当然、「英文学」を学ぶところ
・・ですよね

ところが・・・

ほんとうに恥ずかしい話ですが

「英語は好きだけど、
私は文学を学びたいわけではなかった!!」

と、そんなことに気づいたのは、
マヌケなことに、
大学に入って授業が始まってからだったのです

勉強をしたくなかっただけのことですが
興味の対象は
中学からやっていたテニスに没頭することになります

ろくに勉強もせず
テニス三昧の学生生活を卒業してからは
「英文科卒業」と言うのが恥ずかしくて
「テニス科卒で~す」と
お茶を濁していました

そのころまでは、
1年中、コートを走り回り
真っ黒になって
それなりに良い成績も残し
私の人生は、楽しくて、幸せで、充実した毎日でした

ところが

青天のへきれき

24歳の時に母が突然亡くなりました
母は52歳でした
母の実家の親戚で
結婚式に参加するために
新調した着物をもって
うれしそうに出かけていきました

その夜
急死したのです

本人も周りの者も
「青天のへきれき」でした

実家は商売をしていました
翌年には、お店の建て替えをする計画が
すすんでいたときなので
父の落ち込みようは大変なものでした

伴侶を失って、それでも
必死にお店を頑張っている父を見ていると
私が母を亡くした悲しみに暮れている場合では
ありませんでした

そのあとの1年間は
自分がどういう風に過ごしていたか
記憶があいまいです

大学を卒業してわずか2年後
その当時、兄も、姉も結婚していました
しかも
実家のある広島から離れていましたので
父にとって、家族は私だけでした

末っ子で、まだまだ社会人として未熟な時に
突然、母の代わりに父を助ける
という立場に置かれたのです

もっと、もっと、商売のこと、将来の結婚のこと、
いろんなことを、母と話し合っておけばよかったと
けんかしておけばよかった
本当に後悔しました

「大好きな母」「仲の良い親子」という記憶しかありません
でも、「仲がいい」ってどういうことでしょう

コーチングを学ぶきっかけ

学生時代、部活に明け暮れて
家のこと、将来のこと、商売のことなど
家でゆっくり話をする機会もありませんでした

両親は商売で忙しかったので
子どもに細かい口出しをすることもなく
土日、祭日に親子で出かけることも
一家の団らんなどもないに等しく

それでも子どもは
反抗期を迎えることなく
部活で忙しく、元気に過ごしているので
お互いにぶつかることもなく
日々の生活を過ごしていました

それって、「仲が良い」ことだったのか
今になってみたら
悔いが残ります

もっともっとたくさん話しておけばよかった
けんかもしておけばよかった

母がどんな考え方をしていて
どういう気持ちで商売に取り組んでいたのか
私たち子どものことをどんなふうにみていたのか
老後どんな人生を夢見ていたのか

今となっては取り返せないのですが
「もし、いま本音で話ができたなら・・・」

と、今でも時々思うことがあります

結婚したときに
心に誓ったことがあります(少しオーバーですが(笑))

「もし、こどもが生まれたら
その子が結婚して、孫がうまれ、その子が成長するまで
岩にかじりついてでも長生きするぞ!!

結婚して、帰る実家がないような目には
合わせたくない」

本当にマジで思っていました。

ですから、できるだけ薬に頼らず
体に良い食べ物をとり
血圧を上げないように、
心穏やかに過ごすように心がけ
「心身健やかに」をモットーに生きてきました

ところが
子どもが大きくなるにつれ
自分では気づかないうちに
少々うっとうしい親に変わっていました

良かれと思って、
早め、早めに提案したりアドバイスしたり・・
自分の価値観を押し付けていました
が、自分ではそのうっとうしさに気づけず
明るくて、話せる母親だと勘違いしていました

子どもが中学に入るころから
だんだん、子どもと話すことが減っていきました

食事が終わると
そそくさと自分の部屋に入ってしまう
テレビも好みが違うので
いっしょに見ることも少なくなる

かといって、反抗期というほど
子供の態度がひどくないので
「年ごろの子供はこんなものかなぁ」
くらいにしか、受け止められませんでした

そんなころ、2006年でしたが
テレビで「コーチング」の特集を見ました
それを見たとたん
即、コーチ養成スクールにとびこみました

コーチになるためには
たくさんのスキルを覚え
コーチングを実践する必要がありました

中でも
「聴くこと」について学んだことが
私の人生を大きく変えることになりました

まるで修行ですが
言いたいことをぐっと抑えて
聴くことに徹していると

三か月くらい経った頃でしょうか
子どもの反応が変わってきました
私から、しつこく話しかけなくても
子どものほうから
「ねぇ、お母さん、ちょっと聞いてくれる?」
と声をかけてくれるようになりました

初めて、子どもの声を
しっかり聴けるようになった
と感じられた一瞬でした

それはまるで、
違った世界を見る思いでした
「わぁ~! 子供が変わった!」
と最初は思いましたが
実は、変わったのは、子どもではなく
私自身だったんです

「自分の言いたいことを言っても
親は聞いてくれるんだ」
と子どもが確信し始めたころ
それまで言いたいけど言えなかった
ある種、許せない親のやり方について
伝えてくれるようになりました
ある意味、批判ですが・・・
しかも、かなり厳しめの批判でした(笑)

正直、たまにむかつくこともありました(笑)
腹が立つこともありました

それまで、言いたいことも言えず
どれだけストレスをためていたんだろうと
申し訳ない気持ちでいっぱいでした

同時に、子どもにとって
何でも言いやすい親になれたんだと
とてもうれしく、
ありがたい気持ちになったのを覚えています

やっと、子どもと真剣に、本音のところで
話すことができるようになりました

受験のこと、就職のこと、部活のこと
友達のこと、先生のこと・・・
いろんなこと
それまで、話し合いたくて
仕方がなかったいろんなことを・・

想像もできない位大変だったんだろうな
と思えるような出来事を
子どもたちは経験していたんだ・・・
と、初めて知ったこともたくさんありました

恥ずかしい話、本当に
能天気な母親で
「穴があったら入りたい」気持ちで
いっぱいでした

自分では、物分かりの良い、
明るい、楽しい、話しやすい、
そんな親だと自負していましたから
どんだけぇ~(笑)

本当に自分のことは、
見えていないものです。

子どもは成長するにつれ
双方向の建設的な話し合いが
行われなくなると
「何を言っても、分かってもらえない
話を聴いてもらえない
親の思い通りにさせようとする」
と感じるようになります

すると
殻にはまって
理解してもらうことを
あきらめてしまうものなんだ
と痛感したのです

コーチングを学ぶ段階で
子どもとの関係性を修復できたことは
私にとって
人生を変えることになりました

コーチ資格を取ってから
「関係の質の向上」をメインテーマにした
人財育成研修を始めることにしました

現在仕事では、
企業や、教育現場、介護現場などで、
コミュニケーションを円滑にする研修を
行っています

コーチングで活用する手法を学んでいただくと
よりストレスの少ない人間関係を
築くことができます
研修に参加された多くの方から、
人間関係のハードルが下がった
と、とても喜ばれています

2008年から12年間にわたって
九州大学の学校管理職マネジメント研修では
800人近い先生がたに
コーチングの手法を学び、
実践していただいています

コーチングでは多くのスキルを使います
でも、もし
「普通の人でも使える
簡単な手法があったら・・・」
人間関係からくるストレスを減らすことができる

普段の生活で使えるスキルとして
「何ができたら、コミュニケーションの
スタイルが変わるだろう」
と考えたときに

ご家庭で必要なスキルは
「聴くこと」と「訊くこと」だと気づきました

この二つをまとめて
オリジナルの「きくスキル」を考案し
体系化しました。

3年前から久留米の教育センターで
学校の教諭、教頭先生方も
研修を受けて実践しています

子どもとのかかわり方に悩み
「何とか、子どもとの会話の糸口をつかみたい」
と思っていらっしゃるあなたに
一日でも早く、
子どもとの良い関係性を築いていただけたらと思い
ヒントになる情報をお伝えしています

人が人間関係を最初に学ぶのは
多くの場合
母親からです
ここでよい関係性を作れると
学校でも、社会に出ても
人とのつながりに苦労しないで人生を歩いて行けます

親子関係を向上させることによって、
社会全体を変えることができると信じて
日々仕事に取り組んでいます

少しでも、お役に立つことができれば幸いです